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石岡の陣屋門 (県指定有形文化財(建造物))
 
石岡の陣屋門
 
メモ
石岡いしおか陣屋門じんやもん (県指定文化財けんしていぶんかざい

 石岡の陣屋門は、文政ぶんせい11ねん(1828)江戸藩邸えどはんてい新築しんちくするさいあまった材木もくざい使つかって建築けんちくされました。
 江戸時代えどじだい、石岡には徳川光圀とくがわみつくにおとうとである松平頼隆まつだいらよりたか藩祖はんそとする府中藩ふちゅうはんかれ、以後いご明治維新めいじいしんまでの170ねんあいだ、石岡地方ちほう府中松平藩ふちゅうまつだいらはん支配下しはいかにありました。府中松平氏ふちゅうまつだいらしは、水戸徳川家みととくがわけ分家ぶんけとして「御連枝ごれんし」とばれ、藩主はんしゅ江戸えど常駐じょうちゅうしていました。わりに地元じもと政務せいむをとるためにかれた役所やくしょが「陣屋じんや」です。
 この陣屋門は石岡小学校しょうがっこう校門こうもんとなっていましたが、昭和しょうわ44年に学校敷地内がっこうしきちない移転いてんされました。
案内板
石岡の陣屋門 (県指定有形文化財(建造物))

    所在地:石岡市総社一丁目2番10号
    指定年月日:昭和43年9月26日

 石岡の陣屋門は、文政11年(1828)2月に建てられた。
 元禄13年(1700)初代水戸藩主徳川頼房の五男松平頼隆が、府中藩主となり、以後明治維新に至る170年の間、石岡地方は府中松平藩の支配下にあった。府中松平氏は、水戸徳川家の分家として「御連枝」と呼ばれた。
 江戸時代に代官その他の役人が在任した屋敷や役宅は、一般に陣屋あるいは、陣屋敷と呼ばれていた。
 石岡の陣屋門は、本柱の上に妻破風造の屋根がつき、本柱の控柱の上にも、本屋根と直交してそれぞれ別棟の小屋根をつけ、扉と控柱とを覆っている高麗門の形式である。
 この門は、冠木と棟木間が土壁で閉ざされている高麗門に比べ、冠木が本柱を貫きとおし、また冠木と棟木間に格子を組み入れるなどの手法を見せている。

    昭和63年1月
        石岡市教育委員会
        石岡市文化財保護審議会
( 登録No.005/01.12.06 2版 10.02.13 )